よく週刊誌などで『女の敵は女』というタイトルを目にする。
でも、こうした話題が成り立つのは、どうも日本だけのようだ。
ドイツ出身のコラムニスト、サンドラ・ヘフェリンさんは
「日本に来たばかりのころ、『女の敵は女』という言い回しに驚きました。
日本にはシスターフッドの精神が決定的に欠けています」と言う。
シスターフッドの定義
シスターフッドとは1960年代後半から80年代のウーマンリブ運動の中でよく使われた言葉で、女性同士の連帯や絆を示す。女性の地位を確立するために、女性解放という大きな目標に従った女性同士の連帯のことでもある。仲間の理解と愛情を確認し合うために使われることもあれば,これまで常に女性に対して権力を及ぼしてきた男性たちからいったん離れて,女性たちだけの関係の可能性を試してみようとする,分離主義の立場や考え方を指すこともある。日本では1980年代に一部の中産階級の専業主婦たちがネットワークを形成し,独自の情報交換の場にしたり生協活動につなげていった。このネットワークは血縁や地縁とも異なる,新しい「女縁」として女性学の中で注目されたが,これもシスターフッドの一例である。
確かに、女性は小さい山の大将になりたがる傾向がある。
気に入らないからと仲間はずれにしたりする行為は
すでに幼稚園児の時から始まっている。 でも、シスターフッドを上手に取り入れて、素敵な仲間たちと
力を合わせて活動している女性たちも日本にはたくさんいる。
何を根拠に、日本だけだと言うのかよくわからないが、
あえて言えば、世界中で「女の敵は女」症候群は蔓延っているし、
シスターフッドの精神で女性の連帯が成果を出していることも多々ある。
要するに、状況により、どちらもありなのだ。
女性だから、こうだと決めつけてもらっては困る。
では、どうして、「女の敵は女」のような話題が上がってくるのか?
それは、男性にとって、女性はよくわからない存在なので
女性の問題は女性で解決するように仕向けられるからである。
当然、その中で女性の問題を女性が持ち出せば、
男性には、女性が女性を攻撃しているようにしか思えず、
「女の敵は女」と決めつけてしまうのだ。
男性がまだまだ中心の世界。
女性が社会進出するにつれ、女性を取り巻く環境の改善や
相互の理解がますます必要になってくる。
女性の問題を女性だけの問題として片付けようとするから
「女の敵は女」と言うことになってしまう。
そもそも、敵と見做すこと自体に問題がある。
敵でなく、問題であり、女の問題は男女問わず、人全体の問題だ。
日本で、「女の敵は女」の類の話題が取り上げられているうちは
残念だが、男女平等参画時代は程遠いように思う。
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